伊東純也の笑顔と原点。横須賀市で海と山に囲まれ、のびのびと育った。
弟を無理やり連れ出すエピソードも。速さと才能、国内外で輝く姿を伝える内容です。

伊東純也のサムネイル
伊東 純也(いとう じゅんや、1993年3月9日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロサッカー選手。ジュピラー・プロ・リーグ・KRCヘンク所属。ポジションはフォワード(FW)。日本代表。 小学校1年生の時に鴨居SCでサッカーを始めた。中学校入学前に横浜F・マリノスジュニアユースの入団テストを受けた…
69キロバイト (7,316 語) - 2026年2月9日 (月) 12:24

伊東純也を生んだ“海と山”「無理やり連れて」 2人の弟と磨いた原点…道を拓いた一つのゴール




稲妻のようなスピード。伊東の代名詞だ。その原点は理論ではなく野生に近い場所で育まれた。

神奈川県横須賀市。海と山に囲まれた地で、少年時代を過ごした。特別なトレーニングではない。ただ、すぐそばに砂浜と坂道があった。

「実家は本当に海と山が近くて。トレーニング的なことは分かっていなかったですけど、きついことをやればいいだろうという考えでしたね。

砂浜ダッシュもきついし、坂道ダッシュもきつい。一緒に弟を連れて、そういう自然の中を走ったりしていました」





2歳下と6歳下の弟。

少年団のコーチを務めた父は時に厳しく、母は静かに見守ってくれた伊東家でのびのびと育った。

「トレーニングに行こう」。
思い立ったら弟を誘った。

「嫌々連れていったりもしていましたね。家から出たくない弟を無理やり(笑)。

2歳下の弟は大学生になるまでよく一緒にボールを蹴りました。喧嘩とか全くせず、今もいい関係」。

理屈抜きの反復こそが、今の爆発的な
1歩目の礎となった。 






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そんな環境の中で、プロへの意識が明確になったのは大学に入ってから。目の前のことに没頭し続けた結果、道が拓けた。伊東らしく、マイペースに実直に。どんな歩みも今につながった。




小学6年生の時。横浜F・マリノスジュニアユースのセレクションを受けた。最終選考に残ったが、結果は不合格。だが、伊東にとっては挫折ではなかった。


「セレクションは免除みたいなのがあって行ったんですけど、正直、あんまり受かりたくなかったというのがあるんですよね。知り合いがいなかったので(笑)。

もちろん受かったら行くつもりだったので、真面目にはやりました。結局は落ちましたね
……

落ちた悔しさはありましたけど、落ちても次に行くクラブで倒してやろうぐらいに思っていました」



選択全てにストーリーがある。高校進学時も「サッカーがある程度強くて、家から通えるから」という理由で地元の逗葉高校を選んだ。

国体メンバーに選出された時も、早生まれで
1学年下の招集だったことから「1
個下なんて全員知らない」という理由で行かなかった。

でも、それは自らが選んだ道。周囲の評価や世間のレールに流されず、自分の直感を信じた。独自の感性が伊東を築き上げた。


<出典元>

伊東純也を生んだ“海と山”「無理やり連れて」 2人の弟と磨いた原点…道を拓いた一つのゴール
…伊東純也は横須賀市でのびのび育った 世界を切り裂く右サイドの韋駄天??。ベルギー1部ゲンクに所属する日本代表MF伊東純也は、32歳となった今も輝きが…
(出典:FOOTBALL ZONE)