
(出典 デイリースポーツ)
海外やMLSで活躍し、多彩なキャリアを振り返る。
関係者によれば「年齢的に若いかもしれないけど充実したキャリアだった」と話しており、今後は米国を拠点にセカンドキャリアを歩み出す予定という。
京都の下部組織出身のストライカーで高校3年生だった11年4月にプロデビュー。左右両足からの正確なシュートを武器に1年目からJ2で30戦10得点をマーク。
天皇杯では決勝のFC東京戦で得点するなど同杯準優勝に貢献した。ザッケローニ監督時代の12年2月にはJ発足後2人目となる“高校生A代表”に選出。
ハリルホジッチ監督時代には本田圭佑からレギュラーを奪い、大きな注目を集めた。
栄光の裏で運命に翻弄(ほんろう)されたプロ15年間でもあった。スイス1部ヤングボーイズに所属した16年はリオ五輪派遣を容認されていたが、クラブ事情で大会直前に不参加。
16年11月以降はA代表でレギュラー格に定着したが、18年4月にハリルホジッチ監督から西野朗監督に交代した影響もあり同年W杯ロシア大会メンバーからも土壇場で外れた。
20年に移籍したシンシナティではボランチやサイドアタッカーも務めるなどプレーの幅を広げ、23年に優勝。
昨年11月の退団後は複数クラブからオファーが届いていた。だが熟考を重ねた末にスパイクを脱ぐことを決断。
日本人が欧州中堅リーグからステップアップできることを証明したパイオニアは第二の人生でも新しい道を開拓していく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6de37befaec25f54c57d60a633e73600cd6bab21












